ペリリュー神社

凄惨を極めたパラオ地域における戦闘を記念する神社

ペリリュー神社は、パラオ共和国にあるペリリュー島に位置する神社です。
このパラオ諸島では、太平洋戦争において激烈な戦闘が繰り広げられました。
ペリリュー島でも、ここに駐留していた日本軍約10,500人のうち、34人のみが生き残り、残りはすべて戦死するか自決するという凄惨な状況となりました。

こうした戦闘について後に天皇が奮闘を称える賞を与えるほど、戦史に残る激しいものとなりました。
アメリカ軍は当初数日で全島を攻略できるとさえ考えていましたが、結局は2ヶ月半ほど攻略までかかり、アメリカ軍にも甚大な影響を及ぼしました。

こうした戦没者の霊を慰めるという目的で建立されたのが、このペリリュー神社です。
1982年になって、清流社の組織のもとで、ペリリュー島の振興も同時に行うという条件付きで神社を建てたのです。

太平洋戦争前から神社が存在している

戦後にペリリュー神社は、再建という形で建てられましたが、実は戦前からもこの島には神社が存在していました。
南興神社という別名を持ち、天照大神を祭神として神道を奉っていました。
この島には、この時以前から日本人が住みついていましたので、現地日本人を中心に祭事が行われ、ペリリュー島の安全と繁栄を祈願してきました。

その後、太平洋戦争が始まり、1944年には前述の激しい戦闘が行われ、同島にいた日本人はほぼ全滅してしまいました。
その後、様々な団体による遺骨収集が行われると共に、慰霊のための施設が建造される運びになりました。
こうした流れの中で、ペリリュー神社が日本から運ばれた資材によって再建されたのです。

現在でも英霊を祀るという考えを引き継ぎ、後に発見された遺骨を祀っています。
また、パラオを訪れる慰霊団や観光客が訪れる1つのスポットともなっています。

現地住民とも良い関係を築いてきた歴史がある

ペリリュー島を始めとする、パラオ地域では、日本語を流ちょうに話せる老人がたくさんいますし、若者たちの間でもいくつもの日本語の単語が飛び交っています。
というのも、戦中の教育によって日本語が教えられていたからです。

この地においては、日本人と現地住民との良好な関係が築かれ、島を攻略するためにアメリカ軍が大挙して来た時も、日本軍と一緒になって闘おうとした人々もいたとされているほどです。

こうした良好な関係は、戦後も続き、神社の再建にも地元の協力がありました。また、その維持や管理にもその様子が見られます。
このように、ペリリュー神社は戦死した英霊を祀ると共に、国際友好を象徴する神社としても機能していて、パラオ共和国と日本における架け橋となっている、心温まる場所なのです。