須賀神社

東京四谷の総鎮守 須賀神社の主祭神とは?

東京四谷総鎮守といわれる須賀神社は、素戔嗚尊と宇迦能御魂神(うかのみたまのみこと)がお祀りされています。
須佐之男命は須賀大神、宇迦能御魂神は稲荷大神です。

世に天王様として親しまれてきた須賀神社の御祭礼については四谷の天王祭、かっぱ祭としてその名をはせてきました。

五穀豊穣、開運招福、商売繁盛の神様であらせられる稲荷大神、土木建築、悪霊退散、諸難・疾病除けの神様であらせられる須賀大神は、この地において古くから庶民の信仰として身近であり、また霊験あらたかであると現在も多くの方が信仰されています。

主祭神の左右におられるのは、八柱の御子で、五男神に天忍穂耳命・天穂日命・天津彦根命・熊野樟日命・活津彦根命、三女神に多紀理姫命・市杵島姫命・多岐都姫命がお祀りされています。
合殿となる大鳥神社には日本武尊戸大鳥連祖神、末社には大国主命がお祀りされています。

須賀神社の御由緒、歴史とは

元々現在の須賀神社は稲荷神社で、往古より現在の赤坂、一ツ木村の鎮守とされ清水谷にありました。
後寛永11年、江戸城外堀普請により現在の地が代替地として拝領されました。

須佐之男命が御鎮座されたのは寛永20年の事です。
寛永14年、島原の乱の際、日本橋大伝馬町の大名主馬込勘由という方が幕府の命をうけ兵站伝馬のご用を勤めた際、その功績によって現在の四谷を中心とした一円の土地を拝領します。

この機会、寛永20年、神田明神社内にお祀りされていた日本橋伝馬町の守護、須佐之男命を地域住民の総発意に基づき四谷に合祀、御両社としてお祀りすることになり、ここは俗称四谷天王社と呼ばれ明治維新まで庶民の方々に広く親しまれ崇敬を受けていました。

明治元年になって須賀神社と改称され、明治5年には郷社として昇格しましたが戦後、制度改正より旧社格については撤廃されています。

須賀神社の名称と戦後の復興

須賀神社の須賀という名称は須佐之男命が出雲の国の簸の川上で八岐大蛇を討ち取り「吾れ此の地に来たりて心須賀、須賀し」と給いて、宮居を占め給いし故事に基づいてつけられた名称とされています。

往古の御社殿はきらびやかではなく非常につつましい御姿で、戦前前の御社殿においては文化11年に起工、15年という長き年月を費やし文政11年に竣工しました。
大正12年9月に起きた大災害、関東大震災でもそのままの姿でしたが、東京大空襲の際に御本殿、御内陣、境内接種を残し外一切の建物を失いました。

戦後、氏子崇拝者の強く暖かな赤誠により今日の荘厳たる存在のお姿に復興を遂げたのです。
本殿御内陣においては戦災も免れ焼失せずに来たのですが、老朽化が進みこのままでは保存が危険ということで、大修復工事が行われ平成元年に落成されたものです。

美しく荘厳華麗な建築物となった歴史ある須賀神社は、現在も地域住民また全国各地からの参拝客が訪れる東京四谷の総鎮守とされているのです。