柴籬神社

「柴籬神社(しばがきじんじゃ)」の由来は歴史深い

大津道(長尾街道)、丹比道(竹内街道)のほぼ中央、古の松原荘の内、大和政権第18代反正天皇の皇居跡であり柴籬神社は、5年間の間この地に都を置き河内王朝最後の都として知られています。
古事記、日本書紀に出てくる丹比柴離宮というのはこの柴籬神社本宮を示します。

24代仁賢天皇の勅命により創建されたは後世慶長年中に兵火によって消失し、その後、寛永年中に宮代大宮司観念寺2代目住持覚夢により再建され現代に至ります。

1351年には足利直義が祈願に参詣し戦国時代には河内国守護畠山氏も篤く信仰し保護したとされています。
旧幕時代には京都御所より菊花御紋章幕一連と賜り、様々な著名人、歴史的人物に暑く信仰を受けた由緒正しき神社です。

日本でも珍しい歯に由緒を持つ祭典がある

家内安全、病気平癒、安産の神様とも言われる柴籬神社です。
日本書紀や古事記などにも記されており、天皇様がお生まれになられた淡路島の産宮神社境内に産湯として用いた瑞井の井戸が保存されています。

また住吉仲皇子の反乱において、すべての績を除き清める為に、清めの仮宮を造ったとされ、事件解決の功績を評価されたことに因み、家内安全、厄除けの神様、諸事悩ごとかなう神としても崇敬されてきました。

またこの柴籬神社は全国でも珍しい歯の神様とされる神社です。
御祭神の別名は瑞歯別命「ミズハワケノミコト」と呼ばれ、記・紀によると「歯の広さ上下等しく斉ひて、既に珠を貫けるが如し」と記されています。

他に類をみない健康的な歯を持っていたといされており、御鎮座される際に、崇拝される人々より歯の神様としてあがめられたといいます。

松原市内に残る伝説の一つ、ちちかみばし伝説やはがみさんのいわれを持つ住吉舎、歯神社が柴籬神社に合祀されることになったのも、ただ氏子区域だったことにとどまらず、ご祭神の反正天皇、つまりミズハワケノミコトが歯の健康の神様だったからということがあるのです。

延命の神、学問の神ともされる

末社、住吉舎、歯神社の裏には延命を願う放生の池がかつてあったといわれています。
また末社には大歳社がお祀りされていることもあり、土地、作物の神様として知られていますし、別命社名より大きく年を取る神様、延命の神としても知られています。

長寿の御祭神にあやかりたいと亀、鯉などの命長き生き物を奉納する崇敬者も多く、それによっても延命の神と崇敬されていることがわかります。

また柴籬神社は一時、天満宮と称された時代があり、相殿に菅原道真公がお祀りされているため、学問の神様としてもお参りされる方々が多いといいます。

歯に問題がある方、歯が弱い方など、多くの方々が参拝されていますが、その他にも、古くから言い伝えられている由緒に因んだ御祈願ができる神社です。