浅草寺

浅草寺の御本尊は江戸浦の漁であがった

飛鳥時代、檜前(ひのくま)浜成と竹成という兄弟が、現在の隅田川にあたる江の浦で漁をしていると、観音様の御尊像が網にかかりました。
当時の在庁官人であった土師中知(はじのなかとも)がこれが聖観世音菩薩様であることを知って深く帰依し、出家、自宅を寺にして礼拝供養に生涯をささげたとされています。

その後、勝海上人がこの観音菩薩が祀られた地を訪れて観音堂を建立します。
さらに夢のお告げにより御本尊を秘仏と定めました。
観世音菩薩様を秘仏とされてからというもの、もともと小さな漁村だった東京湾の入り江の村に、多くの信徒が訪れるようになります。
そこから次第に発展を遂げ、平安初期、慈覚大師円仁様がお前立(普段後悔されない仏像の厨子の前に身代りとして安置され礼拝される方々にその尊容をしのばせる仏像)を謹刻(紙幅の御本尊をそのまま板に掘ること)しました。

鎌倉時代になると将軍たちより篤い帰依を受け、さらに荘厳さをまし、江戸時代になると徳川家康公により幕府の祈願所として定められ、江戸文化の中で大きく繁栄しました。
都内最古の寺院である浅草寺は、現在も「浅草観音」の名称で全国に知られ、年間3000万人という参詣の方々が訪れる信仰の対象となっています。

圧倒的な迫力「雷門」

浅草寺に行くと風神雷神が門を固める雷門・風雷神門が圧倒的な迫力で迎えてくれます。
本瓦葺、切妻造八脚門の雷門は、天慶5年、平公雅により創建、当初駒込付近に建立されました。
鎌倉時代以降、現在の場所に移築され、その際に風神雷神が奉安されました。

伽藍守護のため、また風水害、火災などの除難を目的としてこの二神が祀られ、当初は護法善神と認識されていました。
しかしその後、天下泰平、五穀豊穣等の祈願も行われるようになりました。

慶応元年、田原町火災によって当時の門は炎上し、昭和35年95年ぶりに松下電器創始者「松下幸之助」氏の寄進によって復興再建されてからは、浅草寺の総門として圧倒的な存在感を発揮しているのです。
風神雷神は風邪や雷をつかさどっている神で、浅草寺の護法善神として現在も守護されています。
風神雷神の二神の名を取って「風雷神門」と呼ばれていたものが、いつしか雷門と呼ばれるようになりました。

浅草寺支院「本龍院」は縁結びが成就するといわれる

浅草寺支院「本龍院」は御本尊に大聖歓喜天がお祀りされています。
開山は推古天皇3年です。

隅田川畔にあるこの本龍院は、求福良縁を求める人がご祈願すると必ず良縁に恵まれるといわれています。
毎月20日には縁日が行われていて、賑わいを見せています。
この境内各所に印されている巾着、大根ですが、大根は体を強くし良縁を成就、夫婦仲をさらによくするという功徳を表し、巾着は商売繁盛、聖天様の信仰の御利益が大きいという事を表しています。