北口本宮冨士浅間神社

浅間大神と日本武尊をお祀りしている北口本宮富士浅間神社

霊峰富士といわれる日本屈指の富士は、世界からも多くの観光客を迎え、日本のシンボル的存在です。
古代、富士の様に美しく高い山には神が暮らすとされ、足を踏み入れることができませんでした。

この神が暮らす富士山をはるかに拝み祭祀を行う場所として御鎮座されているのが、北口本宮富士浅間神社です。

西暦110年、日本武尊が東征の際、足柄の相模国、坂本から甲斐国、酒折宮へ向かう途中、この地、大塚丘にお立ち寄りになられ、ここより富士の神霊を仰いだ時「北法に美しく広がる裾野を持つ富士は、この地より排すべし」と仰せになられたといいます。
この言葉に従い大塚丘に浅間大神、日本武尊をお祀りしたことが創建とされています。

平安時代になると山岳信仰が盛んになり、修業するため登山を行うことが各地で広がりを見せると、富士講が出現、それが発展することで御山に登ることがすなわち祈りにつながるとする、登拝を行うために人は山道をめざしました。

富士登山を初めて行った行者と富士講

初めて富士山への登山を行ったのは、701年役小角という行者だとされています。
その後富士講の開祖といわれる藤原角行師が1577年に登山していると記録されています。

富士講はその後、江戸の八百八町に八百八講ありといわれたように非常に広がりを見せ、甲州街道と現在の国道137号線である富士みちを通り、吉田口登山道(現在の北口)から入山する関東一円から、さらに北陸や東北、関西まで広がりを見せます。

最も大きな団体とされる村上講の村上光清師は藤原角行師の6世の弟子という立場にあり、1733年から1738年という6年間の間に、境内社殿の大造営を行った事でも知られています。

現在見る事の出来る社殿、境内の構成についてはこの当時に定められたもので、廃物毀釈で損失にあっても噴火の被害を受けることなく、現在もその当時のままの趣を現代に伝える歴史的な建造物となっています。

多くの人が関わった社殿造営

887年からは藤原当興、北条(左京太夫)義時、武田信玄等多数の方々によって造営がかなねられ、1233年、北条義時造営の後、1561年に武田信玄公が再建したとされる社殿が、現在見る事の出来るもっとも古いもので、東宮本殿として現本殿の東側へ、また1594年に浅野氏重殿造営の社殿が西宮本殿とし本殿の西へお通視されています。

現在見る事の出来る本殿については、1615年、鳥居土佐守成次殿の創建であり、いずれついても国の指定重要文化財とされています。

富士山のお山じまいの祭「吉田の火祭り」

北口本宮富士浅間神社の摂社、諏訪神社の御祭、現在は鎮火祭として知られる吉田の火祭りが、毎年8月26日、27日に行われています。
26日夜には、街中で大松明が焚き上げされ、圧巻の景色を見せてくれます。

鎮火祭は富士山の噴火を鎮めるという意味を持ったお祭りで、ご祭神が猛火の中でたいそうな安産をされたという故事にちなんで行われているといいます。
日本10大火祭りとされるこの吉田の火祭りは地元の人々、観光客でにぎわいます。

このお祭の本質は、神様を待ち目に見えない物を感じる、空気の中で悟る事こそ本質といわれ、極めて日本的な側面を持っています。
お祭を長くみてきた地元の方々にもあまり知られていないことですが、神様を待つその空気、その神聖な感覚をこの祭りで感じてみたいものです。